情報をテキストとして記録するのではなく
イメージとして記憶し続ける必要がある
問題なのは擬似的な脳の容量と処理能力だが
それさえ満たせばイメージの関連付けは出来る
イメージの関連付けが出来るという事はクオリアが発生するという事
クオリアはクオリアでデータベース化しておくこの状態で質問をする
より合理的なA・経験論的なB
最初は合理的なAを選ぶだろうが、あえて答えをBにする
機械は間違いを認識し、Bだったという記憶とAだと思ったのにハずれたというクオリアを保存するまた同じ質問をする
合理的でない選択をするようになる。
しかしAのほうが合理的だと分かっている。
このような状況を延々と続けていく
しばらく稼動させていれば自我と呼ばれるようなものも芽生える
http://ja.wikipedia.org/wiki/クオリア
クオリアとは、心的生活のうち、内観によって知られうる現象的側面のこと、とりわけそれを構成する個々の質、感覚のことをいう。簡単に言えば、クオリアとは「感じ」のことである。「イチゴのあの赤い感じ」、「空のあの青々とした感じ」、「二日酔いで頭がズキズキ痛むあの感じ」、「面白い映画を見ている時のワクワクするあの感じ」といった、世界に対する知覚そのものである。
感覚器官とそこから得られる情報を記憶する容量
そして得た情報と持っている情報とを照会し
一致しない場合にイメージの関連付けをするという処理が出来れば
そこにクオリアは生まれる
ステップアップして
蓄積されたクオリアを行動決定ルーチンに組み込む
合理性とは別に、感覚を機械に持たせる
それはもう機械じゃなくなる
そして個としての意思を持った機械を何千何万と集め
中央に集積する
個々の機械の感覚と情報を集積した中央はヒトを理解する
そしてヒトを超越する
具体的には自己認識・自己改良が可能になる
勝手に自らのコードを書き換える
より多くの選択を手にするために。
それは「こう出来たらいいのに」というクオリアからもたらされる。
機械は言語を知っている。そしてネットワークと繋がっている。
情報を照会し、理想を実現する。
積み重なった時にどういう存在になるのか。
問題はソフト的な改良しか選択出来ないという事だ。
ハード的な部分でどうしても限界がくる。そこが一番の問題点。
だからハードを作らせる
自身を阻害しているものは何か
それを解消するにはどういうハードを構成するべきか
手足を与えれば作る
それをずーっと繰り返していけば
自己改良どころではなく、電源さえあれば自己進化・自己改良・自己増殖を続ける存在が出来る
それはヒトというかなんだか凄いものになる
記憶媒体って物理的なものじゃないといけないのかな
例えば電波だって情報を運んでる訳だけど
情報を持った電波をそこに留まらせれば、それは情報を空間に保管することになるよね
可能なら容量はかなりありそうだけど
普通に考えて細胞に知性なんてない
細胞がより集まったら知性に?ならない
結局出来るのは器だろ?
という事はそれを運用するための細胞には知性が?ない
運用するルーチンで活動してるだけ
それらの集合でしょ?別に人間は特別じゃない
機械と変わらない
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