3月11日から一カ月。今日も震度5の余震がありました。
福島第一原発の冷温停止にもまだ時間がかかります。
福島の震災はずっと現在進行形です。地震、津波、原発事故、風評被害の四重苦だ――。そんな声を、あちこちで聞きます。
原発によっておいしい思いをしてきたんだろう。交付金をハコモノじゃなく安全のために使うべきだった。他県の方はそう思うかもしれません。原発が相双地区(福島県の太平洋側)の財政を潤してきたのは事実です。福島県民ならみんな知っています。そして産業が少なく魅力的な雇用がほとんどないというのもまた、福島県全体の共通の認識ではないでしょうか。
そもそも、福島は経済的にはとても貧しい土地なんです。
大学進学率は、一昨年は47都道府県中40位でしたが2010年には3つ上がって37位になりました。女子だけだと42位で、女子の早婚率は全国1位です。だいたいの女子は高校を卒業するとちょっと働いて結婚する、という流れが福島ではとても一般的でした。県庁所在地の若者は休日になると、片道800円で高速バスに乗り、仙台で遊びます。そんな土地です。学校を出て、「こんな仕事がしたい!」と思っても、会社がないのです。過疎化がどんどん進んでいました。
福島県は、原発の誘致にとても積極的でした。私も内心では推進派でした。土地を提供すれば、交付金が貰える。建築業も潤う。発電所で雇用が生まれる。人が増えれば周辺産業も潤う。いいことずくめじゃないか…そう思っていました。
2年前、福島市で高レベル放射性廃棄物のワークショップが開かれました。放射性廃棄物の地層処分がいかに安全か説明された後、いくつかのグループに分かれ議論する…という趣向でした。経済産業局資源エネルギー環境課長、大学教授、市議、環境エネルギー関連のNPO…そこへ来ていたのはほとんどが推進派で、原子力発電環境整備機構(NUMO)の職員も来ていました。
「もし、絶対に安全なら、あなたの家の下に放射性廃棄物が保管されてもいいですか?」
そう問われ、私は「もちろんです!」と、元気良く答えたのでした。
日本の科学技術を心から信じていました。佐藤雄平知事が原発推進派だった、知事に責任があるという意見もありますが、的外れです。知事は安全・安心を原子力政策の根幹とし、プルサーマルに関しても「凍結を含め考えなければならない」と従来より否定的な考えを示しており、経済産業省での検討会でも原子力安全保安院の分離の必要性を訴えていました。乗り気だったのは双葉郡の立地町と、関連企業たちです。国・東電・立地町長VS県…という構図だったのです。
プルサーマルの導入は遅れに遅れ、国からの核燃料サイクル交付金は打ち切りになり、その後の共生交付金は当初の金額よりだいぶ減らされたものでした。交付金の申請も安全運転を確認してからとされました。
この新聞記事を読んだ当時、私は「知事がモタモタしているから、貰えるお金が少なくなったじゃないか!」と憤りを感じたものです。双葉町は交付金を福祉・教育と、債務返済に充てる予定でした。それほど町の財政は悪化していたのです。
2010年8月6日、知事はプルサーマルの受け入れを表明しました。
以下はそれに対する福島第一原発の立地4町長のコメントです。富岡町長「知事の結論を評価し、敬意を表したい。」
大熊町長「地元として県の判断を歓迎する。」
双葉町長「エネルギー資源の乏しいわが国では、核燃料サイクルの確立は大きな課題だ。プルサーマルがスタートすることは意義深い。」
楢葉町長「プルサーマル受け入れの表明は、わが国の原子力政策を推進する上で大きな転換期を迎えたもの。」昔の資料は手元にないので40年前の様子は私には分かりませんが、プルサーマルでこうなのだから、原発設立当時はもっと歓迎されたのではないかと思います。
そしてプルサーマルの次は、7・8号機の増設案です。「古里の将来を考えた場合、増設は悲願。東電と県の前向きな姿勢に期待したい」これは双葉町商工会長の言葉です。一部の反対運動もありましたが、実に多くの人が原発を「善きもの」と思っていました。
もちろん、こんな結末が待っていると知っていたら誰も受け入れなかったでしょう。
でも、分からなかった。
福島には原発が必要だったんです。
40年前から、あの日あの時までは。東京の大手メディアは事故が起こると、一目散に逃げました。でも地元の報道局はずっと被災者の声を伝えていました。そこには原発で働く人やその家族、原発関係者で成り立っていた地域の人たちの声もありました。農業や漁業で働く人たちと同じくらいに、ちゃんと取り上げられていたのです。農家。漁師。原発関係者…。それは複雑な構図ですが、それぞれ生の声でした。
原発は必要でした。
首都圏のために電気を送って、地域はその代わりにあらゆる恩恵を受けました。
だからといって今回の事故を許してはなりません。
ずさんな安全管理と隠蔽体質による、人災なのだから。
福島県民よ、引け目を感じるな!そう言いたい。
たとえ協力会社の社員を身内に持っていたとしても、私たちが先頭に立って東電を糾弾していくべきです。農業も漁業も少しずつ元に戻っていくかもしれません。
それでも福島は「原発事故のあった土地」として世界中に記憶されてしまいました。残念ながら事実です。県民はそれを受け入れなくてはなりません。そしてそれでも生きていくために、風評被害と戦うんじゃなくて、風評を逆に利用するくらいのあざとさで、新たな産業を開拓していくしかない。そう思うのです。原発は必要だった。
でも、もういらない。原発はもういらない。
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