72年当時、自分が担当していた部分は、原子炉圧力容器内の炉心支持構造物であった(マーカー着色部分)
実際に原子炉設計に携わり、「データを偽造して地震に耐えうることにする」との会議に立ち会ったことから、技術者の良心で辞表を出した経緯を公表し、警 鐘を鳴らした設計者。しかし電力会社を広告主にもつ大手マスコミはこの事実を取り上げず、行政に知らせても音沙汰なし。東海地震が起きれば関東・関西一円 に放射能汚染が広まる危険性は高く、早急な対策が必要だ。「このままでは大変なことになる」という設計者の決意の証言を報じる。(取材・代筆、佐々木敬 一)
私は1969年に東京大学工学部舶用機械科の修士課程を修了後、東芝子会社の「日本原子力事業」に入社し、1972年当時は、申請直前だった中部電力の 浜岡原子力発電所2号機(静岡県御前崎市)の設計に携わっていました。東芝が浜岡原発の受注先の一つで、私は東芝に出向中でした。
浜岡2号機の設計者は数十人で、1「炉心構造物設計」、2「制御棒設計」、3「汽水分離機・蒸気乾燥器設計」の3つのチームに分かれていました。私は1に所属し、核燃料を支える炉心支持構造物といわれる箇所を担当していました。原子炉の中心的な部分です。
必要なデータを私が集計し、それをもとに、計算担当者が耐震計算を行っていました。
◇「この数値では地震がくると、もたない」
ところが1972年5月頃、驚くべき事態が起こりました。部門ごとの設計者の代表が集まった会議で、計算担当者が「いろいろと計算したが無理だった。この数値では地震がくると浜岡原発はもたない」と発言したのです。原因は、第一に、浜岡原発建設地の岩盤が弱いこと、第二に、核燃料集合体の固有振動数が想定地震の周波数に近いため、とのことでした。
第一の「岩盤が軟弱」という点では、浜岡原発の建設地は、150年前に発生した安政の大地震など200年周期でM8クラスの地震が起きており、岩盤が断 層、亀裂だらけで、地震に非常に弱い地盤です。しかも、今後起こるといわれる東海大地震の震源域は駿河湾といわれており、その駿河湾の震源地が、ちょうど 浜岡原発の真下に位置しているのです。
第二の「固有振動数」については、地震が起きた際には、周波数があります。その周波数と、核燃料集合体の固有振動数が近い場合は、地面と燃料集合体が共 振し、何倍も大きく振れることになります。耐震計算の結果、浜岡原発の核燃料搭載部分はその共振が著しく、地震が起きたらもたない、との結果が出たので す。
◇3つの偽造
会議では、さらに驚くべきことに、計算担当者が「データを偽造し、地震に耐えうるようにする」と述べました。偽造は三点でした。第一に、岩盤の強度を測定し直したら、浜岡原発以前に東電が建設した福島原発なみに、岩盤は強かった、ということにする。
第二に、核燃料の固有振動数を実験値ではなく、技術提供先である米ゼネラル・エレクトニック社(GE)の推奨値を使用することで、地震の周波数は近くないことにする。
第三に、原発の建築材料の粘性を、実際より大きいこととし、これにより地震の振動を減退していることとする。
私は、それを聞いて「やばいな」と思い、しばらく悩んだ末に上司に会社を辞める旨を伝えました。自分の席に戻ったところ、耐震計算結果が入った三冊のバインダーが無くなっていました。そのため、証拠となるものは何も持っておりません。
技術者の良心から日本原子力事業を辞することに。
その時の辞表。それから1ヵ月位慰留を受けた後、私は技術者の良心に従い、警告の意味を込めて、退社しました…..この続きの文章、および全ての拡大画像は、会員のみに提供されております。
受理を伝える手紙だけ来たが、その後3ヶ月、音沙汰なし
【シミュレーションの状況設定】 ■事故想定:突然、1?4号炉のうち2号炉がメルトダウン事故(BWR1タイプ)。
■事故原因:ミサイルテロ、東海地震、等考えられるが、ここでは特定しない。
■風向き:年間のうち御前崎で観測される約7割の南西風(偏西風)
■日時:実測の大気データ2002年8月9日で拡散した場合
◆放射性物質発生データ提供:京大原子炉実験所(小出裕章助手)
◆拡散分布シミュレーション計算協力:鈴木基雄(元日本気象協会調査部)
引用: 「浜岡原発、巨大地震対策虹のネットワーク」より
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