ジュリアン・ポール・アサンジ(英語:Julian Paul Assange、1971年 – )はオーストラリアのハッカー、インターネット活動家、ジャーナリスト。国際的な内部告発サイト、WikiLeaksの創設者の1人として最も知られている。ジュリアン・アサンジュとも。
人物・来歴
わかっている経歴は本人がインタビューに答えたものが大半で、非常に謎の多い人物として知られている。
ニューヨーカー誌によると、アサンジは1971年にクイーンズランドのタウンズビルで生まれた[1]。本人は1970年代生まれであること以外は公表していない[要出典]。
幼少時代
両親がツアー興行師だったことや、母親の再婚相手からの逃避行のような生活のため、オーストラリア国内の学校を転々とした。「学校教育は権力に対す る感性を鈍らせる」という両親の教育方針のもと、母親が家庭教師をし、本人は独学でコンピュータープログラミングを勉強したとするメディアもある。 1979年に母親が、カルトに所属していたミュージシャンと再婚し、アサンジの異父弟を出産するも1982年に離婚。親権争いに発展し、母親とアサンジは 弟を連れてその後の5年間を隠れるように過ごした。1987年に親元を去るまで、アサンジは30回以上の引っ越しと転校を経験した。
1980年代後半には、International Subversives(国際的危険分子たち)というハッカー集団に所属し、Mendaxのハンドルネームで活動していたが、1992年に24件のハッキ ングの罪で有罪判決を受けた。1997年には、Suelette Dreyfus著の『Underground: Tales of hacking, madness and obsession on the electronic frontier』にリサーチャーとして協力し、当時のハッカーとしての経験を語っている。
コンピュータープログラミング
1994年、メルボルンでプログラマー兼フリーウェア開発者として活動。1995年には、『Strobe』というオープンソースのポートスキャンフ リーウェアを開発。1997年頃には『Rubberhose』というLinux用のデータ暗号化コンセプトを共同開発。これは、データの暗号化を解く鍵 を、暗号作成者などに強引に自白させる行為を防ぐために開発された概念であり、アサンジはこれを「機密情報保護の必要性を迫られる人権団体職員のための ツール」として開発した。
それ以外にアサンジが関わったフリーウェアには、Usenetのキャッシングソフト『NNTPCache』や検索エンジン用ソフト『Surfraw』などがある。
1999年には、Leaks.orgというウェブサイトを登録するも、本人曰く「Leaks.orgでは何もやらなかった」。
大学での専攻
2003年からWikiLeaks創設に向けて本格的に動き出す2006年まで、アサンジはメルボルン大学で物理と数学を専攻していたが、主に独学によって科学と数学を学んだとされている。それ以外にも哲学と神経科学も学んだ。2005年には大学を代表してオーストラリア物理学コンテストに参加した。
私生活
1989年から同棲していた恋人との間に息子が1人いるが、1991年にアサンジが警察の家宅捜査を受けた後、恋人は息子とともに彼の元を去った。しきりに移動する放浪者のような生活をしており、本人も「最近は空港に住んでいるに等しい」と述べている。オーストラリア、ケニア、タンザニアなどに住み、ベトナム、スウェーデン、アイスランド、シベリア、イラク、ベルギー、アメリカなどの世界各国を行き来している。2010年3月30日からアイスランドに家を借りている。同年7月にWikileaksにおいてアフガン紛争関連資料を公開した後には、法により内部告発者の保護が手厚いスウェーデンに移住したともされている[2]。 2010年12月7日、英国警察によってスウェーデンにおける強姦容疑により逮捕された。
政府・国際機関とのやりとり
2010年11月には、フランス政府から国際刑事警察機構(ICPO)を通じて、スウェーデンでの婦女暴行で指名手配された。なおスウェーデン政府による婦女暴行の容疑は、本人の申し立てですでに取り下げられている。
2010年12月、ICPOから「レッドノーティス」と呼ばれる要請状がインターポール加盟188カ国に向け発行された。これは国際手配の令状として機能するものではない[3][4]。ただ、アサンジュの身柄拘束と引き渡しを念頭に、氏の発見に向けた協力を要請するものではある[4]。
アサンジュの弁護士は、「スウェーデン当局の捜査は、アサンジュが女性2人との間で同意に基づく性的関係を持ったことが発端だ」と11月の時点で説明した[4]。そもそも女性2人がアサンジュを告訴したのは、彼が女性2人と関係を持っていたこと(いわゆる二股)に気づいた後のことだ、と述べた[4]。スウェーデンの捜査当局から、アサンジュの弁護士に対しても、またアサンジュ本人に対しても、捜査についての連絡はまったくない、という[4]。
アサンジュ本人は一貫して無実だと述べており、中東の衛星テレビ局アルジャジーラに対し、捜査は陰謀だと訴えた[4]。また、アサンジュは「(都合の悪い情報をリークされた)米国政府による攻撃キャンペーンだ」と述べた[5]。
脚注・出典
- ^ No Secrets – Julian Assange’s mission for total transparency. ザ・ニューヨーカー 2010年6月7日
- ^ “手配のウィキリークス創設者、変装し逃亡生活か” (日本語). 読売新聞. (2010年12月1日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20101201-OYT1T00496.htm 2010年12月1日閲覧。
- ^ 国際刑事警察機構のホームページの手配書は、国際逮捕手配の所謂赤手配書となっている。
- ^ a b c d e f “インターポール、ウィキリークス創始者を国際手配”. CNN. http://www.cnn.co.jp/world/30001065.html 2010年12月6日閲覧。
- ^ “ウィキリークス創設者、婦女暴行容疑で指名手配” (日本語). 読売新聞. (2010年12月1日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20101201-OYT1T00378.htm 2010年12月1日閲覧。
引用元: ジュリアン・アサンジ – Wikipedia.
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