今月、「好きっていう気持ち」と劇的な出会いをした。
彼女と愛とセックスと結婚について
元増田の気持ちがわかる。彼にぼくから付け加えることは何も無いし、何かを議論しようとも思わない。ただぼくは、彼と違って、「本当に人を大好きになってみたい、セックスしたいと思ってみたい(まあ、そうなれなくてもどっちでもいいけど)」とどこかで思っていたんだよね。同調圧力に屈したというのとは少し違っていて、むしろ同調圧力をかける側さえ実は手に入れていないような純粋な愛情のようなものがあるってことを信じる幼さが消えなかった感じ。そのことを少しだけ話したい。
ぼくは今年、「どっちでもいいこと」のうち、割合と簡単に実現できるものをいくつも試した。
高級な美容院に高いお金を払って通うとか、ミュージアムショップでアブストラクトな絵葉書やピンバッジを買うとか、カフェでメニューのアレンジを頼んで作ってもらうとか、そういう金さえ払えばどうにでもなるささやかなところから、友達数人と日本各地に旅行に行って、楽器を鳴らして歌を歌いながら歩くとか、山道や海沿いを交代でドライブするとかまで、やった。
試したときや、金を払ったときには、そこに価値なんてあるように思えなかった。でも、価値を保証してくれるものなんてどこにもないし、仮にそんなものあったってナンセンスだし、自分の見方を敷衍すれば、この世の全てのものは無価値だった。どうせ自分の好きなものなんてもうほとんどありはしないんだから、構わないといった感じで、試し続けた。
そういうことの一環で、知り合って3年くらいになる女友達と二人で工場見学のため、電車にごとごと揺られた。ちょうどいい陽気で、乗客は多くなく、緑と住宅がゆっくりと流れる景色に何が映ったかを二人で呟きながら、自分たちの仕事の話や専門の話、共通の友達のこと、読んだ本についておしゃべりをしていて、思った。こういうことがまたあればいいな。そして、彼女を助手席に乗せてドライブがしたいとも思った。運転が好きなんて感じたことは一度も無かったはずなのに。なんだかそれがちょっと嬉しくて、その日はいつもよりも楽しい話とか、思い出話とか、小さい頃に悩んでいたこととか結構濃い話が出来たような気がする。
その子と先日都内で食事をして、たっぷり5時間近くしゃべって、クリスマスの雰囲気が早くも出始めた街路を彼女の行き先の駅まで送り届けたときに、わけの分からないことが起こった。身体が勝手に動いたんだよ。本当に勝手に動いた。想像だにしないことだった。ぼくの身体が、勝手に、お別れの言葉とともに手を振る仕草をした彼女の手を、つかんで、そのまま引き寄せた。で、ぼくの口が勝手に動いて、言ったわけ。「帰らないで」って。いや、本当に。自分でも、なんだこれ、って思った。そんなことしようなんて本当に一瞬だって考えたこと無いのに、そうなっちゃった。びっくりしてたよ、彼女もぼくも。
そこからあとは、もう、まるで何もかも決められていたみたいに進んでしまった。駅を出てバス停を探して、別のイルミネーションを見に行って、そばのベンチに二人で腰掛けて、キスした。自分の頭や身体が自律的に動くのと、何者かによって動かされるのが半々くらいで、そうなった。自分事と他人事が一緒になったような感じ。なんかもう、圧倒的な感じ。それで、多分彼女の方も似たような感じになっていたんだろうなって、伝わってきて、なんかもうスケールがでかすぎるような満たされ方をした。たぶん、二人とも。キスするのやめて、最初に彼女の口から出てきた言葉が、「いま、なんかすごかったね」だったもん。駅のあたりからすごかったって伝えたら、彼女はそれのもう少し前からずっとすごかったって。
ぼくは今まで、好きっていうのは、意思や感情のことだと思ってたんだけど、違うんだなって悟った。あの、なんかすさまじくでかいものが、「好き」ってことなんだって考えることにした。ちょっと前のことだけど。全然上手く伝えられてないけど、誰かにいいたかった。あと蛇足だけど、彼女はぼくの彼女になってくれた。金曜日から。
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