雇用は改善しないことをいいかげん受け入れろ

雇用を取り巻く情勢が一段と厳しさを増しています・・・ってニュースの枕みたいだな。

ぶっちゃけ、雇用は大幅な回復はないと思う。未来永劫、とは言わぬが、あと数十年は。もちろん先のことは誰にもわからないが、現時点で冷静に考えれば、雇用は悪化することこそあれ、回復する見込みは全くといっていいほど無いだろう。

なにせ、企業は人を雇いたくない、人件費をかけたくないと言っているし、少ない人数でやりくりしていけるように企業体質を変えていかなければ、いわゆるグローバル経済の中で生き残っていくことはできないからだ。

産業の効率化の歴史は人員削減の歴史でもある。同じ仕事であっても、組織化と機械化によって、必要な人員はどんどん減っていく。自動販売機、電話交換手、駅の改札、など挙げればキリがない。高速交通網の発展は宿場の仕事を奪い、町の駄菓子屋は高度に情報化組織化されたコンビニがとってかわられ、ネットとケータイの普及で一般消費者の情報共有が行われ、雑誌の休刊が相次ぎ、新聞は部数を減らしている。

工場のロボット化しかり、農業の大規模化しかり、OA化しかり情報化しかり、人を減らして少ない人数で最大の仕事ができるように改善が続けられている。

雇用の悪化が終わるわけないではないか。

効率化を上回るほどの人口増があれば仕事もあっただろう。人工が増えるということは需要が、仕事が増えるということなのだから。だが人口減社会がやってきた。人口が減るということは少なくともその分消費が減るということだ。そしたら仕事は減るに決まっている。仕事が減れば企業は利益を確保するためまず人件費を下げる。雇用を減らし、少ない人数で仕事を行うべく効率化を一層推し進める。それが消費を萎縮させ、企業は人減らしや人件費削減を行い労働者を苦しめる。おなじみデフレスパイラルだ。

この悪循環を断ち切るには、補助金付で無理やり雇用を増やし統計上だけ改善し現実から目をそむけることではない。

今求められているのは、「働か(け)ない人は一定数発生する」現実を認め、意識を変えることだ。

政府が行わなければならないのは雇用の改善などという目先の数字にとらわれるのではなく、雇用の悪化すなわち働か(け)ない人がある程度いるという状態を受け入れる政策だ。

働か(け)ない人たちもきちんと生活できるような仕組み(ベーシックインカムでも給付付き税額控除でもなんでもいいよ)を整備し、企業に社会保障を押し付けることをやめることだ。

そうすれば企業は身軽になり経済活動は活発になる。すなわち税収も回復する。

働か(け)なくても生きていける仕組みで国民の将来不安を解消すれば個人消費も上向く。

政府は業種や産業別の複雑な雇用テコ入れ策や効率の悪い社会福祉をやめ、国民一人ひとりまんべんなく生活を(というか所得を)保証することで、政府の仕事自体を減らす。そうすれば財政健全化も近づく。財源は限られているのだから、シンプルに効率よく使われなければならない。「農家戸別所得補償」だの「子ども手当」だの対象を限定するから効率が悪いのだ。

「俺の払った税金が仕事もしてないような奴らを食わせるために使われるのは納得いかん」という声が絶対出てくると思うが、そういう人に言いたい。

あんた一人で稼いでるつもりか。オギャアと生まれて今まで一人で生きてきたとでも言うのか。金払ってくれる人がいるからあんたの稼ぎがあるんだぞ。

それにだ。人間先のことはわからん。事故や病気、倒産、リストラ、いつなんどき働けなくなるかもしれんのだ。そのときに働けなくても生きていける仕組みが必要だと言っているのだ。誰しもその可能性がある以上、それは社会全体で負担しなければいけない必要なコストだ。

だからこそ、特定の業種や産業、環境に限定せず、包括的に国民すべての生活を保障する仕組みが必要なのだ。

それこそが、日本経済の再生につながるのだ。

引用元: 雇用は改善しないことをいいかげん受け入れろ – 人は働く機械ではない.

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