「生きる目的は何ですか?」というインタビューを受けました

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

「はじめまして」

「どうもーはじめまして」

「今日は、生きる目的というインタビューですが」

「はい、あなたの生きる目的はなんですか?」

「目的、ですよね」

「そうそう。何のために生きるとか、生きがいとか、これがあるから生きているとか、漠然としていてもいいです」

「そのテーマなんですけど、それを聞いたときからよく考えてみたんです」

「そんな難しく考えなくていいよ?簡単に、生きていてこれが楽しいとか そんなでもいいから」

「はい」

「では、あなたが生きる目的はなんですか?」

「恐怖です。」

「恐怖?」

「そう、恐怖です。」

「生きる目的が恐怖?」

「はい」

「どういうこと?」

「はい、私の人生を振り返ってみると、私の行動原理が全てにおいて、恐怖を根底においていました。ですから「生きる理由は?」と聞かれたら 「恐いから」としか答えようがありません。恐いから。 恐さからの退き。恐怖からの脱却。恐れからの逃げ。 私の生涯はそこに全てが集約されております。 楽しむとか好きなこととか達成とか勝つとか欲とかそんなもんありません。 あるのは恐怖。恐さを退くためだけに生きてきました。 それ以外はありません。」

「そんな人生楽しい?」

「楽しくはないですよ」

「じゃあ死んだらいいじゃない?私なら耐えられない」

「死ぬのも恐いんですよ」

「何が恐いの?楽になれるかもよ?」

「いろいろ恐い。痛そうだし。それに、今の状態って 別に私にとっては特別じゃないからあえて死ぬほどの事でもないんです。 これが普通」

「ええーマジで、あんたマゾだね気持ち悪い吐きそう」

「マゾじゃないです。やはりこういう恐怖におびえるだけの毎日って疲れるんですよね。いくら恐いからとはいえ」

「じゃあやっぱ死ぬ?」

「死なないですよ。恐いから。死ぬことの何が恐いかって、一番は母親です。母親がどうなるかわからない。次は妹です。彼女たちは少なからず私の死に対して悲しむでしょう。 病むかもしれません。それは私にとって耐え難い。今のところそれを越えるほどの恐怖を抱えてはいません。だから私は今生きております。」

「家族のために生きてるってこと?」

「違います。生きるのは普通に生きてます。死なない理由は家族の恐怖に耐えられないからです。つまり自分のためです。」

「よくわからないけど」

「いいんです。似たようなもんですから。私が言いたいのは人のせいにしたくないということだけです。」

「でも家族は人のせいにしてでも生きて欲しいって思ってるんでしょ?」

「そんなことは関係ありません。私の人生ですから。」

「ごめん、やっぱ意味わからない」

「決めるのは飽くまで私自身ということです」

「はあ」

「ですからですね、話がそれましたが、私の理想としてはですね、誰も悲しまずに私が恐怖に脅えることなしに、できるだけ早く。出来るだけ早く終わることが出来ればそれが理想なのです。」

「早く死にたいってこと?」

「なんの弊害もなければね」

「親より先に?」

「先には死ねないですね。ですから、恐怖が無い、誰も傷つけない形で、できるだけ早く、です。」

「それって、親が死んで、妹も死んでからってこと?早く無いじゃん」

「できるだけ、です。理想ですから。」

「じゃあ、死にたいのは死にたいんだ?」

「死にたいっていうわけではありません。終わりたいのです。」

「一緒でしょ?」

「一緒です。ニュアンスが違うのです。死そのものに対する欲求はありません」

「よくわからない」

「つまり、死を望むわけではなく、生の終焉を望むのです。結果は同じですが、私の目的は飽くまで生にあるのです」

「全然わからない」

「じゃあそれは置いときましょう。出来ることなら、早く終わりたいこれが私の望みです。私のような人は多いと思いますよ。」

「え、そうかな?みんな長生きしたいんじゃない?」

「そういう人も多いと思います。」

「君は違うっていうの?」

「そうです。おそらく、長生きしたい人は生きていることが楽しい人か、若しくは人生に希望がある人ではないでしょうか」

「生きていて楽しくないの?」

「そうですね」

「全く?全く楽しいことなんて無いって言うの?」

「全くではありません。楽しいこともあります。要は比重の問題です」

「ひじゅう?」

「そう、比重です。バランスです。」

「どういうこと?」

「つまり、よくアンケートでありますよね、四択で、はい、いいえ、どちらかというとはい、どちらかというといいえ」

「うん」

「私はどちらかというといいえ、なのです。楽しいことが、全く無いわけではないけれど、長生きしたいというほどではない」

「じゃあ何で死なないの?」

「恐いからです」

「恐いから生きてるってこと?」

「そうです。ご理解いただけましたか?」

「全然」

「でしょうね」

「でもさ、これから生きていればいいことあるかもしれないよね?」

「あるでしょうね」

「じゃあもうちょっと生きたいとか思わないの」

「思いませんね。なるべく早く終わりたいです」

「なんで?」

「それが、さきほど言いました、もう一つの答えです。」

「え、なんの話?」

「つまり、長生きしたい人は人生が楽しいか、希望がある人か、その後半の話です」

「今が楽しくなくても希望がある人は長生きしたいって事?」

「おそらく。」

「希望はないってこと?」

「ないですね」

「でもわからないでしょ?先のことなんて」

「わかりません」

「じゃあ、この先長生きしたいほどのことがあるかもよ?」

「期待はできません」

「なんで?わからないじゃん」

「わからないからこそ期待できないのです」

「どういこと?」

「つまり、期待とは可能性の問題です。可能性とは、現状から予測できる今後の見通しです。それが期待です。現状とこれまでから予測する限り今後は期待できないということです。」

「わからない」

「ですから、今までがこうだった、そして今の自分がある。未来を予測する際の基準は過去と今です。」

「うん」

「極端な例を挙げますと、今まで数学のテストが0点で、今日も0点だったその人が明日のテストで100点を取れると思いますか?」

「すごい努力すれば出来るかもよ?」

「そうですね。でも彼は数学が好きでしょうか?」

「0点ばっかり取ってたら嫌いになるよ」

「数学が嫌いな彼がすごい努力するでしょうか?」

「きっかけがあればする」

「今日と明日の間にきっかけはあるでしょうか?」

「あるかもしれないよ?」

「じゃああなたは明日彼が100点を取れると思います?」

「可能性はある」

「何パーセントぐらい?」

「…1パーセントぐらい」

「それが期待は出来ないという意味です。」

「でも先のことなんてわからないじゃん?」

「わかりません」

「これから先何年生きるかもわからないよね?」

「はい」

「じゃあその間に希望が持てるかもよ?」

「そうですね」

「じゃあ長生きしたい?」

「したくないです」

「え、なんで?」

「今はその希望が無いからです」

「今後あるかもしれないよ?」

「そうですね」

「じゃあ明日宝くじの一等が当たるとしても希望持てないってこと?」

「今の時点でその希望は持てないですし、期待も出来ないですから」

「そりゃそうだよね」

「そりゃそうです」

「でもやっぱり生きていれば良い事あるかもしれないよ?」

「あるでしょうね」

「それでも早く死にたい?」

「早く終われれば最適です」

「でももし良いことあったときに後悔するよ?」

「何故ですか?」

「例えば、今日死んだとしてお葬式ですっごい美人の子が、実は?くんの事好きだったのにー!ってなるかもじゃないじゃない?」

「その時はもう死んでるんですよね?」

「うん。後悔するでしょ?」

「死んでからどうやって後悔するんですか」

「…えっと、じゃあさ、死ぬ直前に告白されたら?すっごい美人」

「死ぬ直前ですよね?」

「うん。後悔するでしょ?」

「死ぬ直前にそんな余裕ありますか?どんな場面かわかりませんけど」

「うーん、えっと、例えばビルから落ちそうなときとか」

「それ助けてくれないんですか」

「たとえたとえ!」

「例えば、ビルから落ちそうなときに告白されたら、それは不可抗力です。ですから、そこで後悔したりする事と、明日を生きるのに希望を持つ事は全く繋がりません。希望を持っていたところで同じ結果になります。」

「…うーん、なんて言えばいいのかな、じゃあさ、すっごい欲しい物があるとする。何が欲しい?」

「特には何も」

「何も…じゃなくて、例えばなに?趣味とかは?」

「無いです」

「無いの?何か好きなこととかは?」

「そんな、すぐには思いつきません」

「ええ、そう?もういいやじゃあ、すっごい欲しいバッグがあるとする。たとえね?たとえ」

「はい」

「すっごい欲しいバッグがあるとする。すっごいカッコいいデザインで今すぐ欲しい。でも発売は来年なの。それでも今すぐ死にたい?」

「ええと、」

「ほら、長生きしたいでしょ?」

「いいですか、」

「何?」

「とても欲しい物があるとする、それが今は手に入らない」

「そうそう」

「欲しいから、それまで待たないといけない。待ってでも欲しい」

「そう、そういうこと。」

「それはつまり、希望があるって事なんです」

「うん、希望があれば生きているのも楽しいし長生きしたいでしょ?」

「だからその希望がないんです」

「え、バッグだよ?」

「それも希望です」

「じゃあ何が欲しいの?」

「特に、欲しいものはありません」

「…じゃあ、物欲がないって事?」

「あります」

「じゃあ希望あるじゃん?」

「今はないです」

「全然物欲わかないの?」

「そう、ですね。そんなには」

「物欲があるときには希望はある?」

「そうですね、希望と言うほどではないかもしれませんが」

「じゃあそんときは早く死にたいとは思わないでしょ?」

「それは程度によります」

「すっごい欲しければ?」

「恐怖を覆すほど欲しいものには、今まで出会ったことがありません」

「出会うかもよ?」

「そうですね」

「じゃあ長生きしたい?」

「期待はできません」

「そうなるか…」

「そうなります」

#ブクマコメントを見て

「さっき、親が悲しむから死ぬのが怖いって言ったよね?」

「はい」

「でも、死んでから君のこと好きだった人がいても後悔できないって言ったよね?」

「はい」

「それって矛盾してない?自分が死んで親が悲しむのは死んだ後だよね?でも君は死んだあと後悔できないって言ったよね?」

「はい」

「やっぱ死んでから後悔するんじゃん?」

「死んでからは後悔できません」

「じゃあ親が悲しむのは?それは死んでからだよね?」

「親が悲しむのは死んでからです。」

「おかしくない?」

「説明していいですか?」

「うん」

「まず、親が悲しむというのは分かりきっている事です。」

「え、なんで?悲しまないかもしれないよ?」

「言われましたから」

「でも死んでみないとわかんないじゃん」

「そうですね。死んでみないとわからない」

「もしかしたら、悲しむって言ってるだけかもよ?」

「そうですね。つまり、そこなんです。」

「どういうこと?」

「死んでみないと分からない、死んでからの事は考慮してません」

「どういうこと?」

「私が死んでもし親が悲しんだとしても後悔は出来ないという事です。同様に、たとえもし私が死んで親が悲しまなかったとしても安心する事もできないのです。」

「え?わからない」

「私は、私が死んだら親が悲しむから死ぬのは怖いと言いましたよね」

「うん、言った。」

「それは、生きている間の話です。」

「でも親が悲しむのは死んでからでしょ?」

「そうです。」

「じゃあ死んでからじゃん」

「私が怖いのは、厳密に言えば親が悲しむ事そのものではありません」

「どういうこと?親が悲しむ事が怖いのに、そのものではない?」

「はい」

「じゃあ何が怖いの?」

「親が悲しむと予測できる事が怖いのです」

「なにそれ、どう違うの?」

「私は親に、私が死ねば悲しいとあらかじめ言われております。たとえ言われてなかったとしても多少は予測できます」

「そりゃそうだよね」

「だから怖いんです」

「だからって、やっぱ死んだ後悲しむのが怖いんじゃん?それは死んだ後の後悔じゃん?」

「違います。いいですか、私が怖いのは予測です。私が死ぬと親が悲しむであろう、病むかもしれない、という予測が堪え難いのです。死への恐怖となっているのです。ですから言ってしまえば、実際に私が死んだ後に親が悲しもうが病もうが知った事ではありません。私はその時死んでいるのですから後悔も何も出来ません。」

「…じゃあさ、もし君が死んで、親が悲しむかどうかわからなかったら怖くないってこと?」

「そうです」

「じゃあ親が悲しまないって言ってたら怖くない?」

「それは嘘かもしれません。私の親に関して言えば、それは無いことが予測できます。とにかく、親の話については生きているうちの恐怖です。死んでからの後悔とは全く違います。」

「よくわかんないけど、君の事が好きだった人がいたとして、死んでから後悔できないって言ったよね。それとはどう違うの?」

「まず、死ぬ前に私は、その人が私を好きだった事が予測できません。」

「死んでから言ったもんね」

「ですから、後悔はできません。私は死んでますから」

「じゃあ死ぬ前に言ったら後悔してたの?」

「死ぬ前に言ったとしても、死んでからは後悔できません。」

「じゃあ例えば、そのすっごい美人の子が死ぬ前に告白してきたら長生きしたいと思う?」

「思うかもしれません」

「じゃあ、長生きしたい?」

「私は今死ぬ前ではありませんし、告白もされてません。その希望も期待もありません」

「…ごめん、私こうやって話していて、ちょっと好きになったかも」

「すっごい美人?」

「うるさい!!」

#もうひとつ

「死ねば?」

「何故ですか」

「だって生きていても楽しくないんでしょ?」

「大抵はそうですね」

「だったらなんで死なないの?」

「それはさっき言いましたよね」

「…人間生きるか死ぬかどっちかじゃない?早く死にたいんだよね?」

「どちらかと言えば」

「死ぬのは嫌なの?死にたいの?どっちなの?」

「どちらかと言えば嫌です。今生きてますから」

「じゃあなんで死なないの?どっちなの?わけわかんない」

「あの、一ついいですか?」

「なに?」

「もしかして、死ぬの反対は生きるだと思ってますか?」

「あたりまえじゃん。死ぬか生きるかしか無いじゃん?他にあるの?」

「死ぬの反対は生きるじゃないですよ」

「じゃあなんなの?」

「生まれるです。」

「生まれる…」

「そう、生まれる。生を受ける事、が死ぬ事の反対語です。」

「…死ぬ事の反対は生きるじゃないの?」

「そうです。”死ぬ”の反対は”生まれる”です。そもそも死ぬというのは出来事です。生きるというのは状態です。」

「え、なにそれ?」

「英語習った事ありますよね?」

「うん、学校で習ったよ」

「動詞の種類に、動作動詞と状態動詞というのがあったのを覚えていますか?」

「んーなんとなく」

「あれに近いです。つまり、死ぬというのは動作動詞です。生きるというのは正確には”生きている”という状態動詞です。」

「ほんとに?それあってる?」

「知りません。でも言わんとしてる事はわかりますか?」

「わかる。生まれるも、動作だしね。」

「そうです。死ぬと生きるという二つは対になるはずがないのです。生きるの反対は強いて言えば、死んでいる、でしょうか。」

「…それで何が言いたいの?」

「何が言いたいか」

「うん」

「私が言いたいのは、早く生を終えたい事と、今生きている事は両立するという事です。」

「え?両立?」

「そう、両立です。矛盾しないということです。」

「矛盾するでしょ!死にたいのに生きてるっておかしくない?」

「おかしくありません」

「なんで?生きてるのに死にたいんでしょ?」

「そうですね」

「矛盾してるじゃん!」

「どこがですか?」

「どこがって、全部!」

「まず、生きているということ、の反対は、先ほど言ったように死んでいるということ」

「え?うん、そうだね」

「生きているのに死んでいる」

「なにそれ?」

「矛盾してますね」

「矛盾…っていうかわけわかんない」

「それが矛盾です。生きている事と対になっている死んでいるという状態が重なっている。これはどちらなのかわからない。矛盾しています。」

「そうだね、どっちなの?」

「だから矛盾しているのです。今言ってるのは生ける屍とか死んだように生きてるとかそういう話ではないですよ」

「それはわかってる!」

「では、死んだのに生まれた」

「死産?」

「いえ、出産のことではありません。言い直しましょう。死ぬ人が生を受ける」

「どういう意味?」

「ある人が、死ぬと同時に生を受けるってことです」

「生まれ変わるってこと?」

「転生の話ではありません」

「じゃあなに?どういう意味?」

「矛盾しているという事です。死んだのか生まれたのかどっちなのか」

「どっちなの?」

「だから矛盾しているのです」

「ていうか普通間違える?」

「そういう話ではありません。」

「じゃあどういう話?」

「生きている人が死ぬ」

「うん」

「これは矛盾してませんよね」

「当たり前の事だよね。生きてないと死ねないし」

「そうです。」

「何が言いたいの?」

「生きているからこそ、死ねるのです。」

「わかんないって!」

「生を終えたいという思うのは、生きていないと出来ません」

「うん、それはそうだね」

「ですから、生きているという状態と、早く生を終えたいという気持ちは矛盾しないのです」

「なんで?死にたいなら死ねばいいじゃん?おかしくない?」

「私が死なない理由は先ほど言いましたよね?」

「うん、聞いた。親がどうとか」

「では、理想としてはなるべく早く生を終えたいというのも覚えてますか?」

「覚えてるよ。早くないけどね。」

「私は今、生きてますよね?」

「目の前にいるのが幽霊じゃなければね?」

「幽霊ではないですよ。」

「わかってるし」

「ではもう一度聞きます。私がなるべく早く生を終えたいけれど、今生きているということは矛盾しますか?」

「…んっと、君の場合は、親が生きている間は生きたいんだよね?親が死んだ後死にたいんだよね?だから今生きているのは生きたいから生きてるんじゃないの?」

「生きたい、ですか?」

「そうそう、生きたいから生きてる。違う?」

「違います」

「え、なんで?死にたいなら死ぬでしょ?親が死ぬまでは生きたいから生きてる。間違ってなくない?」

「間違っています」

「どこが!」

「私は、今自然に生きています。」

「はあ?」

「生きようと思って生きているわけではありません。」

「じゃあ死ねばいいじゃん!」

「死のうとも思いません」

「わけわかんない!じゃあなんで生きてるの?」

「生まれたからです。」

「生まれたから?」

「そうです。生まれたから。」

「生まれたから生きてるって、なにそれ?」

「生まれたら、生きている事が自然な状態です。」

「生まれたって死ぬひとはいるでしょ?」

「います」

「それは自然じゃないってこと?」

「それも自然です」

「どっちだよ!生まれたから生きているのが自然で、死ぬのも自然って」

「どちらも自然です。ですから、その場合の死は、事故死であったり病死であったり自然死であったりします」

「全然わかんない」

「私は今生きてますよね?」

「さっき聞いたし言った!!」

「そう、それが自然です。今私が生きている事というのは、この世に生を受けて、それを維持している。自然の状態です。そこに私の意思はありません。」

「でもご飯食べたり寝たりするよね?」

「します」

「それは生きたいからじゃないの?」

「違います」

「じゃあなんで?」

「食事は、腹が空くからです。」

「あたりまえじゃん!」

「生きたいからではありません」

「だーかーらー、お腹がすいてご飯を食べるってことは生きたいって事にならない?」

「なりません」

「なんで?」

「それが自然な事だからです」

「だから自然自然って意味分からないって!」

「あなた、ご飯食べますよね?」

「食べるよもちろん」

「生きたいですか?」

「私は生きたいよ?」

「では、食事をとる時に生きたいって思いますか?」

「…思わないけど」

「生きるために食事をとると毎回考えて食べてますか?」

「…食べてない」

「では、生きるために食事をとりますか?」

「そりゃそうだよ」

「考えてもいないのに?」

「考えなくてもご飯食べる事は生きるためなの!」

「本当ですか?」

「当たり前じゃん」

「それは、後からそう教え込まれただけではないですか?」

「え?」

「生きるためには食事をとる事が必要だと、後から教えられただけではないのですか?」

「そりゃー教わったよ?でも教わらなくても生きるためにご飯は食べるよ」

「本当ですか?」

「だってお腹空くじゃん」

「お腹がすく」

「そう、生きるためとか知ってなくてもお腹はすくでしょ?じゃあご飯食べるよ」

「お腹がすくから」

「そうだよ、お腹がすくからご飯は食べる。それが生きるためになる」

「生きるためかどうか教わっていなくても、お腹がすくからご飯を食べる」

「そうそう」

「つまり、ご飯を食べる理由はお腹が空くからですよね?」

「そうだよ?」

「それが自然です」

「…ごめん、わけわかんない」

「例えば、ですよ。例えば、あなたは生きるためには食事が必要だという事を知らないとする」

「うん。知ってるけどね」

「例えです。」

「たとえね、たとえ」

「そう、例えです。例えば、あなたは生命維持のための食事の必要性を知らない。しかしながら、腹は空く。当然、食事をとりますよね?」

「うん」

「あなたはなんのために食事をとりましたか?」

「お腹が空いたから」

「では、あなたが食事をとった事は、生きるためではないですよね?」

「お腹が空いたからだけど、それは生きるためだよ」

「でもあなたは生きるために食事が必要だという事を知りませんよ?」

「知らないけど、知らなくても生きるためになってるよ」

「生きるためになっている。」

「うん」

「では、あなた自身はどうなのですか?」

「私自身?」

「そうです。あなた自身は、生きるために、と思って食事をとりましたか?」

「ええっと、私はその時点では知らないんだよね?じゃあ思ってはいない。でも実際はそう。」

「そうですよね。食事をとる事は生きるためになっている。でもあなたにその意思はない」

「そう、なるね。」

「話を戻していいですか?」

「ごめん、何の話だったっけ?」

「私が生きたいから生きているかどうかという話です」

「そうそう!生きたいから生きてるんでしょ?」

「違います」

「じゃあなんなの?」

「生きている事が自然なのです」

「また自然…」

「言い換えましょうか?では、私が今生きているのは、私が生きたいという意思を持ち続けてようやく維持している状態ではなく、私が何も考えないところで勝手に生きてしまっているのです。」

「でもご飯食べないと生きていけないよ?ご飯食べないの?」

「食べます」

「じゃあ生きたいからご飯食べるんでしょ?勝手に生きてるなら勝手に食べるの?」

「食べたいから食べます」

「生きたいから食べたいんでしょ?」

「違います。腹が減るからです。」

「腹が減るってことは生きたいって事じゃん?」

「そうかも知れません」

「でしょ?」

「でも、死にたくても腹は減ります」

「じゃあ食べなきゃいいじゃん」

「その時が来れば食べません」

「今は生きたいってこと?」

「違います」

「だってご飯たべるんでしょ?」

「私が食事をとるのは、生きるためではありません。腹が減るから食事をとるのです。先ほどの例え話覚えてますか?生きるという意思を持って食事をとるのではなく、腹が空いたから食事をとるだけなのです」

「そんなの屁理屈だよ!だってご飯食べることが生きるためになるって知ってるじゃん?」

「知ってます」

「じゃあ生きるためになってるじゃん。死にたいなら生きるためになる事を避けるじゃん」

「私は今は死ぬ事は怖いので避けています」

「じゃあ生きるために食べるんでしょ?」

「違います」

「なんなのもう!!!!!わけわかんない!!!」

「いいですか」

「なに!」

「私の住んでいる日本では、そして私の今の環境では、幸か不幸か、食事に困る事はありません。」

「それは幸せなんだよ?世界からすれば」

「そうかも知れません」

「そうだよ多分」

「そう、食事に困る事は無いのです。そして、また幸か不幸か、私は病に冒されてもいません」

「そうなの?」

「はい」

「そうは見えないけど…」

「そうなんです。つまり、今現在私は、死の局面には晒されておりません」

「知ってる。私もそうだし」

「そうですよね。」

「うん」

「そう、そういった状況において、生命を維持する事は、果たして困難でしょうか?」

「んー、ちゃんとご飯食べて、寝て、運動していれば大丈夫なんじゃない?」

「そうですよね。」

「そう思うけど?」

「では、私の環境において、食事と睡眠と運動は阻害されるでしょうか?」

「されるの?貧乏なの?」

「されません。」

「そうだよね」

「では、私がただ生きるだけというのは難しいと思いますか」

「ただ生きるだけ?わりと簡単なんじゃない?」

「わりと簡単です」

「そうでしょ」

「では、私がただ生きるためだけに、生きてやる!!という強い意思は必要だと思いますか?」

「ただ生きるだけなら、なんとなく生きていけるんじゃない?」

「生きていけます」

「そうだよね?」

「つまり、私は生きたいという意思を働かせて生きているわけではなく、腹が減れば食事をとり、眠くなれば睡眠をとり、体を動かしたければ運動をし、ただなんとなく自然に生きているのです。」

「なんか、怠けてるね…」

「そうかもしれません」

「…」

「私は今ただなんとなく生きています。そして、なるべく早く生を終える事を望んでいます。ただし、それ以上に私が死んで親や妹が悲しむ事を恐れています。それらは順序はあったとしても、矛盾はありません。」

「生きる目的は何ですか?」というインタビューを受けました.

スポンサーリンク
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク

コメントを残す