それでも私はなるべく後に生まれる方を選ぶたった一つの理由

以下同文なことは、今までblogでも拙著でもさんざん繰り返して来たので…
負けが決まってる勝負を死ぬまでやらされる若者世代。 : ひろゆき@オープンSNS

いやぁ、ほんと世知辛いですね。

ここではあえて、若者世代の方の方がいい理由を述べることにする。

理由は、これしかない。

世の中、進歩しているから。

私は東京生まれだが、長野県茅野市というところでご幼少のみぎりを過ごした。マザコンの親父が彼の母の近くにいたかったからだがそんなことはどうでもいい。どうでもよくないのは、それが築150年のボロ屋だったことだ。冬はマイナス20度。風呂は別棟にあって、風呂から上がって家に戻ると、髪はパリパリに凍り付いていた。便所(トイレなんてしゃれたもんじゃない)が家についていたのは救いだったが、もちろん汲み取りで、冬はガシガシに凍る。そのトイレに最も近い私の部屋は、縁側を挟んでいても部屋の中に霜が張っていた。

今の我が家のトイレは、水洗どころか尻まで洗ってくれ、$|、失礼、autoflush、つまり自動で水洗までしてくれる。おかげでそうでないトイレで流し忘れそうになって時々尻の冷える思いをする。なんて贅沢な悩みなんだろう。

そんな家からなるべく遠くに行きたくて、私はBerkeleyに行った。今考えると、それは当時ありえないほど難しいことだった。まず円が今より遥かに安かった。「200円を切った」と大騒ぎしていたのが懐かしい(それでもその後の米国の学費の値上がりぶりを見ると、金銭的な難しさは実はそれほど変わっていないかもしれないが)。情報だって遥かに少なかった。Webどころかパソコン通信すらなかった。やりとりは全て郵便。それでも郵便だけで済むおかげで、10校以上同時に「受験」、いや「就学活動」でき、1校を除けば全部「合格」だった。その一校の不合格理由は、「資金力不足」だった。

あれほど嫌だったその実家が全焼したことが、日本に戻るきっかけだったとは、何たる皮肉だろう。

その後の19年に関しては、Wikipediaでもご覧いただくとして、我ながら驚きなのは、バブル崩壊後の「失われた十ウン年」の間に私がこの地で妻を娶り、二児の父となり、そして今も暮らしていることだ。

この国が、少なくとも私のような者にとって確実に暮らしやすい国になったからだ。

もし10年早く生まれていたら、どう考えても小飼弾はありえなかった。

ひろゆきは、もっと。

今の妻となる女(ひと)と目黒区中目黒に引っ越したのは確か1995年。その翌年に個人事業を法人成し、128kbpsの専用線を引いたが、月30 万円払っていた。その翌年世田谷区下馬に引っ越した時、専用線は月3万8000円になっていた。そこで生まれた長女とともに、江東区潮見に買ったマンションに引っ越した際には、回線速度は一挙に100MB、値段は半分になり、そして2004年の終わりにさらに次女を加えた四人で中央区佃に引っ越した時、 100MBの回線は月1,260円となって今に至っている。

携帯電話をはじめて買ったのは、法人成とほぼ同時。当時いくらしたかもう覚えていないが、専用線よりも電話代の方が不安だったことはよく覚えている。東京デジタルホンだったので、iPhoneにした今、回線的には回帰したことになるのだろうが、当時のNokiaの端末と今のiPhoneを比べたら、ライトフライヤーとF-35ぐらい違う。

そして私の娘たちは、物心ついたときからケータイを持っているし、今やMacBookまで持っている。

「一億円損」。確かに額面だけ見ればその通りなのだろう。しかし1996年の私はいくら金を積んでも100Mbpsの回線なんか手に入れようがなかったし、RAM 64MB(GBじゃないよ!)のパソコンを買うのに借金する必要があった。そして2004年になっても、iPhoneなんてどこにもなかったのだ。

もちろん何もかもそういう風になったわけじゃない。ITの世界で起こったハイパーデフレを他に当てはめるのは無理がある。それでも同じ値段のものの品質はより上がっているし、品質が同じであれば安くなっているというのは衣食住すべてにわたって成り立っている。

さらに付け加えれば、1989年までは冷戦という寒波が世界中で吹き荒れていた。「ノストラダムスの大予言」なんて本がベストセラーになったのはそんな世相もあったのだ。私はベルリンの壁の崩壊を米国で目撃したが、それ以前の世界–そう、日本だけではなく世界–はずっと未来に対して悲観的で、刹那的だった。これは1989年以降生まれのみなさんに対してもはっきり証言しておく必要がある。

1991年に私がしたように日本に留まるのも、そして1987年に私がしたように日本を出るのも、2010年の今やずっと簡単なのである。そしてあなたがどちらを選んだとしても、2020年は今よりも世界はいい場所になっていることを私は確信している。そしてその時にまだたかだか30代か40代になっている、今の20代30代がちょっぴり羨ましい。そしてまだ10代に入ったばかりの長女と、これから10代に入ろうとしている次女は、それよりももうちょっとだけ。
「繁栄」下巻 P. 241

さまざまな挫折がこれからも起きるであろうし、各人はみな同じように進化した不変の性質を持っているにもかかわらず、人類はその文化を拡げ、豊かにし続けて行くだろう。二十一世紀は生きるのにすばらしい時代となる。

あえて楽観主義者でいようではないか。

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